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Majolog

魔女のブログ Twitter::Sayonaky

ホグワーツ組分け大解剖(1) 帽子さん、どうやって組分けてるの!?

こんにちは。私はさよ、グリフィンドールの157年生です。趣味は石油の掘削、特技は新入生の組分けです。
世は空前の石油ラッシュ。そこで寝そべって画面を見ているキミ。勇気とチャレンジ精神にあふれるキミは、今こそグリフィンドール寮に入って一緒に油田を開発しよう!

……さて。今日からはいよいよ、みんな大好き組分けの儀式についてお話ししていこうと思います。
めっちゃめちゃ長くなることが予想されるので、この記事では前ふりだけ。次回から各寮について掘り下げていこうと思います。

血統・性格≒能力・意思

とりあえず、新入生の組分けはどうやってなされるのか、おさらいしましょう。
ホグワーツができた当初、4人の創設者は、好みの生徒をめいめい選んで組み分けたといいます。しかし、ゴドリック・グリフィンドールの帽子に、4人がそれぞれ魔法をかけて以降、開心術を使える不思議な「組分け帽子」が、新入生の7年間を決める儀式を担うことになりました。

グリフィンドール勇気と騎士道精神
ハッフルパフ勤勉さと正直さ
レイブンクロー知識欲と機知
そして、スリザリン血統と狡猾さを、それぞれ重視します。

とはいえ、これだけではちょっとぼんやりしてますよね。
さらにみていくと、組分け帽子は新入生の頭にひそむ三つの要素それぞれを評価して、入る寮を決めていることがわかります。それが、「1.血統 2.性格/能力 3.意思」です。本編にはこの基準は直接登場しないので、わかりにくいかもしれません。

ひとまず、組み分けに関するエピソードがあるキャラクターを中心に、いくつか例を挙げてみましょう。

1.血統

・ドラコ・マルフォイ(スリザリン)
ロン・ウィーズリー(グリフィンドール)
・ヴォルデモート(スリザリン)

まずは血統です。身も蓋もありません。先天的な要素で、本人にはどうすることもできません。とりわけスリザリンは、寮生を選ぶ基準のひとつに「純血家系であること」をおいているため、比較的(1)の率が高いことが推測されます。
とはいえ、スリザリン以外でも「特定の寮に行きやすい家系」というのは存在するようです(就学前の教育や環境が、本人に影響している可能性も十分考えられますが)。その代表例は、ほかならぬウィーズリー家でしょう。
ただし、同じ家族でも別の寮に行く場合(双子のパチル姉妹など)もままあるため、謎の多い要素ではあります。
ちなみに……イギリスは今もなお、階級意識が非常に深く根を下ろしている国です。異なる階級同士は「違う世界」で生きているものとされ、交流はほとんどありません。ところが、ホグワーツはイギリス唯一の魔法学校です。貴族も労働者も「イギリスに住む魔法使いは全員」同じ学び舎に放り込まれて、7年間を過ごします。そうなると当然、上の階級からは「なぜ労働者と一緒にされねばいかんのだ」という不満が生じることが想定されます。
まさしくそうした考えを持っている、ルシウス・マルフォイの学校へ対する態度をみる限り、スリザリン寮は(もちろんサラザールの好みもありますが)どうも実質的に「Upper-Class(貴族階級)を他の階級から選別し、不満を解消する受け皿」として機能していた部分があるようにみえます。魔法族はマイノリティですから、「純血主義」をモットーに掲げるって、実は「上流階級のアイデンティティを維持する」以外のメリットがないんですよね……。

日本人の感覚からするとちょっと想像しがたいですが、そのあたりの事情は非常におもしろいです。

 

2.性格/能力

ミネルバ・マクゴナガル(グリフィンドール)
・ネビル・ロングボトム(グリフィンドール)

おそらく一番多いパターン。だいたいの生徒が、先天的な性格・もしくは後天的に身につく(であろう)能力のどちらかを見込まれて、いずれかの寮に振り分けられます。例に挙げたのは、ほかの寮と迷われた末に、伸びしろの大きい性格/能力をみこまれて、今の寮に落ち着いたパターンのふたりです。
特にネビルは象徴的な存在です。もともとハッフルパフに入ることを望んでいましたが、組み分け帽子は最初から、彼をグリフィンドールに入れることを決めていました。次に登場するハリー・ポッターとは、まったく逆のパターンで、ふたりは同じ寮に入ったのです。

 

3.意思

ハリー・ポッター(グリフィンドール)
シリウス・ブラック(グリフィンドール)
ハーマイオニー・グレンジャー(グリフィンドール)

1の血統、2の性格のどちらか(あるいは両方)に本人が強い抵抗を示した場合、その意思を汲んで別の寮に組分けられることがあります。もちろん帽子は、その「抵抗の意思」自体を「面白い資質」のひとつだとみているはずなので、(2)の範疇にふくめてもいいでしょう。

しかしこの「意思」はけっこう厄介なしろもので、単純な性格診断ではなかなか観測できません。そしてこの組分け時の「意思」と「性格/能力」の差異こそが、実は「ハリー・ポッター」と「ネビル・ロングボトム」のキャラクター設定に大きくかかわっていますので、今回はあえて別のパラメータとしてセットしました。

血統(階級)・性格(能力)・意思。このすべての要素を見つめなければいけないので、組み分けというのは案外大変な作業です。
以前制作したHOGLOGYで診断できるのは、(2)の「現在の性格」という、ごく一部の要素から抽出した結果のみですから、やっぱり完全に正確とはかぎりません。

HOGLOGY-組分け×性格診断-

本当のところは帽子のみぞ知る、です。
組み分け、めちゃめちゃ奥深い……。

次の記事からはいよいよ、各寮の性質を順を追ってみていきたいと思います。あの子と同じ寮になりたいあなたは要チェック!

顛倒について―『マクベス』と『愚神礼讃』

すべて真逆の世界で

さて、昨日の記事では「遁走」をあつかいましたが、今日は「顛倒」の話をしたいと思います。

「きれいは穢ない、穢ないはきれい。さあ、飛んで行こう。霧のなか、汚れた空をかいくぐり。」 

―『マクベス』,シェイクスピア,福田恒存

歴史上もっとも有名な「魔女」の言葉といっても、いいすぎではないでしょう。『マクベス』に登場する魔女三人組のせりふです。きれいは穢ない。穢ないはきれい。いったい何を意味しているのでしょうか。

「釜のまわりをぐるぐる廻り、腐ったはらわた放りこめ。それ、ひき蛙、冷たい石に押しつぶされて、三十一日三十一夜、眠りつづけて、毒の汗ながす、お前が最初に魔法の釜に、煮えろ、煮えろ!」 

―同上
 
魔女狩りの歴史のなかでつくられた伝説のひとつ「魔女の宴」。ぶれは多々ありますが、多くの場合、カトリックで悪魔のシンボルとされる雄ヤギを中心に崇拝します。また、蛇や蛙といった、地を這うもっとも下等な生き物が、魔女に奉仕する存在として生き生きと活躍します。異端審問官が描く魔女の世界では、善と悪、上と下、天と地、現実と虚構、すべてが顛倒しています。

「運命あやつる 姉妹三人 手に手を取って 海でも陸でも」

 ―同上

マクベスに登場する三人の魔女は、序盤で不吉な予言を主人公マクベスに告げます。奇妙に浮わついた位置で作品を支配する「予言」は、殺戮の連鎖という悲劇を導く役割を果たしていきます。
シェイクスピアの面白いところは、魔女をただの悪役としては描かなかったところです。魔女の役割は、いわばトリックスターです。予言は結果的には真実となりましたが、彼女たちが口にした時点では、ただの狂言でしかなかったはずです。予言どおり破滅に向かう「運命」を選んだのは、あくまでマクベスなのです。

 

弱者としての魔女

シェイクスピアの時代には、いまだ魔女狩りの嵐が吹き荒れていました。三人の魔女は本来「差別され、迫害される弱者」であり、マクベスのような現世の権力者とは、本来決して交わらない場所に生きていました。虚構と僻地でしか生きられず、現実の世界に介入するすべを持たない。これは魔女の本質のひとつでもあります。しかしそうであるがゆえに、彼女たちが持つ唯一の武器があります。それが、「現実」という枠組み自体を乱す「顛倒」というこころみです。

きれいは穢ない、穢ないはきれい。

シェイクスピアの悲劇にはほかにも、誰よりも鋭く真実を突く「弱者」が登場します。宮廷に置かれた道化、墓守、そして魔女。知をふりかざす権力者は愚かしく、そうでない弱者こそが真理を見抜いている、という構図には、16世紀に刊行されたエラスムスの『愚神礼賛』からの影響がみられます。

しばしばもっとも愚かな者が自分ほど愚かでない者をよく笑ふといふことさへあるのです。 

―『愚神礼讃』エラスムス,池田薫訳

シェイクスピアは、『マクベス』が書かれる17世紀初頭までに積み重ねられた魔女の「顛倒」のイメージを、『愚神礼讃』によってさらに深化させることで、役割にさらに重みをもたせることに成功したといえるでしょう。

そして、超自然的な力を持つにもかかわらず、社会から疎外された位置に立つ魔法使いというモティーフは、いまも文学作品における「魔法使い」のひとつの類型として、大きな存在感を持っています。彼らの持つ独特のコンプレックスを読み解くとき、「顛倒」というキーワードは、補助線として大いに役に立つのではないかと思います。

遁走について

就活の息抜きとしてマジョカツしないと、息が詰まってしまうのに気づきました。
このブログは、そんな魔女の息抜きの記録です。
うんうん。これもまたマジョカツだよね。

魔法の話をしましょう

よく、おまえはいったい何者なんだと聞かれることがあります。「石油王の第五夫人」とか「マハラジャの養女」とか、常日頃から大ぼらを吹いていますが、ぶっちゃけそんなことないし、悲しいことに魔女ですらありません。でも、石油の寄付は1万バレルから大歓迎です。
なんにせよ、魔女というにはちょっと程遠い、なんともなさけない身分なので、私はインターネット上で「魔法」の話をするとき、いくつかの制約をもうけています。

ざっと要約すると、私は「魔法を実際に使う」のを目的にすえたことはありません。だいたいいつも、しぶとく「魔法とは何かを思考」しています。

ハリー・ポッター』以外の「魔法」を扱った長文を書くときの、一応の定義づけとして、こちらを。

1.オカルトや都市伝説、新興宗教、秘密結社、スピリチュアルの類は、19世紀以前の「歴史となった」もののみを扱う。
2.あきらかに法に触れるところには入り込まない。

そうなると私のなかの「マジョカツ」は、魔法に関連する文学や歴史、美術作品の研究、あたりに落ち着いてきます。うむ、無難だ。

また、ここから先につづる内容は一切がエッセイです。息抜きなので、軽く流してください。KEEP CALM, AND TRUST SNAPE. OK?

非現実への「遁走」と魔法

せっかく一発目なので、そのうちお話ししたいもろもろの前ふりみたいものを、書き残しておきます。
私が「魔法」について話すとき、つねに前面に出てくるキーワードが二つあります。「遁走」「顛倒」です。今日はまず「遁走」についてお話ししましょう。

 

"「魔女」はいつの時代から始まるのか。私は、ためらうことなく、それは「絶望の時代からだ」と言おう。(ミシュレ『魔女』)"

 

ミシュレが言ってるんだから、仕方ない。
拷問に火刑と、苛烈をきわめたヨーロッパ中世の魔女狩り。当然ながら世間に魔女なんてものがごろごろいるはずはなく、犠牲になったのはなんの罪もない弱者がほとんどでした。神学者からふつうの農民まで、人々が魔女に眩惑された要因は、いったいなんだったのでしょうか。

「魔女」は、何から生まれたのでしょうか。

ペスト、飢饉、災害、戦争。中世の人々には、あまりに巨大な災厄の力におののき、絶望しながら生きる道しか与えられていませんでした。完全な神の創造した完全な世界が、なぜこんなにも災禍にまみれているのか。そのひとつの答えとして教会が用意したのが、魔女の生態の研究までふくまれた「悪魔学」というものでした。神への信仰が熱狂的になればなるほど、そこに対置させられる悪魔への想像力もたくましくなっていくというわけです。じっさい、魔女狩りの筆頭に立った神学者ほど、詳しく魔女の生態を知っている人間はいなかったというのは、広く知られているところです。

空を飛び、淫蕩にふけり、麻薬を濫用し、人々を惑わす。肥大化した妄想によって築き上げられた「魔女」は、聖書と現実の矛盾からつごうよく「逃げる」ために生み出された存在だといえます。

これが私のいいたいキーワード「遁走」の背景にあるものです。権力、教会、教義、親なるもの、あらゆる現実から「遁走」したい欲求は、「魔女」や「魔法の世界」を生み出す、炎のようなエネルギーなのです。

「遁走」への欲求に憑りつかれたのは、なにもカトリックの教義と世界の矛盾に苦しむ神学者だけではありません。言ってしまえば、私だってそのひとりなんです。

私が『ハリー・ポッター』を好きだったいちばんの理由は、まちがいなく「ホグワーツ」への憧れでした。私にとってのホグワーツは、つまらない現実から遁走できる唯一の逃げ場であり、夢と希望と恋、生と死……そういった、10代のころ欲しかったものすべてが詰まった、魔法のお城でした。
そして、その憧れはとても倒錯していることに、私は気づいていました。キングズ・クロスの壁の向こうで手を振ってくれる生徒たちは、「非現実に行ける」可能性「行った瞬間それは現実になる」不可能性を、同時に含んでいるからです。

焦がれるほどに遠くなるホグワーツへの憧れは、思い返せばひどく恋に似ていました。けれどその、想いつづけながらも永遠に失いつづける恋にとらわれ抜いたからこそ、今の私がいる、と言い切ることもできます。

だから、私は魔法の話をしたいんです。
就活にも卒論にも、何の役にも立たないけれど、恋と遁走に理屈なんてないのだから、仕方がありません。
いってみればこの日記は、魔法の世界に送るラブレターです。

そして、遁走のエネルギーに秘められた「何か」を丁寧に掘り下げていったら、もしかして、私自身が魔法を生み出せる存在になれるかもしれません。そんなわずかな希望もこめて、しばらくESといっしょに、このブログを更新してみようかと思います。

長くなってしまったので、「顛倒」についてはまた次の記事で扱うことにしましょう。

「遁走」が魔法使いを生み出すエネルギー、恋によく似た感情であるならば、
「顛倒」は、魔法使いそのものの本質、だといえます。
きれいはきたない、きたないはきれい。

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