Majolog

魔女のブログ Twitter::Sayonaky

顛倒について―『マクベス』と『愚神礼讃』

すべて真逆の世界で

さて、昨日の記事では「遁走」をあつかいましたが、今日は「顛倒」の話をしたいと思います。

「きれいは穢ない、穢ないはきれい。さあ、飛んで行こう。霧のなか、汚れた空をかいくぐり。」 

―『マクベス』,シェイクスピア,福田恒存

歴史上もっとも有名な「魔女」の言葉といっても、いいすぎではないでしょう。『マクベス』に登場する魔女三人組のせりふです。きれいは穢ない。穢ないはきれい。いったい何を意味しているのでしょうか。

「釜のまわりをぐるぐる廻り、腐ったはらわた放りこめ。それ、ひき蛙、冷たい石に押しつぶされて、三十一日三十一夜、眠りつづけて、毒の汗ながす、お前が最初に魔法の釜に、煮えろ、煮えろ!」 

―同上
 
魔女狩りの歴史のなかでつくられた伝説のひとつ「魔女の宴」。ぶれは多々ありますが、多くの場合、カトリックで悪魔のシンボルとされる雄ヤギを中心に崇拝します。また、蛇や蛙といった、地を這うもっとも下等な生き物が、魔女に奉仕する存在として生き生きと活躍します。異端審問官が描く魔女の世界では、善と悪、上と下、天と地、現実と虚構、すべてが顛倒しています。

「運命あやつる 姉妹三人 手に手を取って 海でも陸でも」

 ―同上

マクベスに登場する三人の魔女は、序盤で不吉な予言を主人公マクベスに告げます。奇妙に浮わついた位置で作品を支配する「予言」は、殺戮の連鎖という悲劇を導く役割を果たしていきます。
シェイクスピアの面白いところは、魔女をただの悪役としては描かなかったところです。魔女の役割は、いわばトリックスターです。予言は結果的には真実となりましたが、彼女たちが口にした時点では、ただの狂言でしかなかったはずです。予言どおり破滅に向かう「運命」を選んだのは、あくまでマクベスなのです。

 

弱者としての魔女

シェイクスピアの時代には、いまだ魔女狩りの嵐が吹き荒れていました。三人の魔女は本来「差別され、迫害される弱者」であり、マクベスのような現世の権力者とは、本来決して交わらない場所に生きていました。虚構と僻地でしか生きられず、現実の世界に介入するすべを持たない。これは魔女の本質のひとつでもあります。しかしそうであるがゆえに、彼女たちが持つ唯一の武器があります。それが、「現実」という枠組み自体を乱す「顛倒」というこころみです。

きれいは穢ない、穢ないはきれい。

シェイクスピアの悲劇にはほかにも、誰よりも鋭く真実を突く「弱者」が登場します。宮廷に置かれた道化、墓守、そして魔女。知をふりかざす権力者は愚かしく、そうでない弱者こそが真理を見抜いている、という構図には、16世紀に刊行されたエラスムスの『愚神礼賛』からの影響がみられます。

しばしばもっとも愚かな者が自分ほど愚かでない者をよく笑ふといふことさへあるのです。 

―『愚神礼讃』エラスムス,池田薫訳

シェイクスピアは、『マクベス』が書かれる17世紀初頭までに積み重ねられた魔女の「顛倒」のイメージを、『愚神礼讃』によってさらに深化させることで、役割にさらに重みをもたせることに成功したといえるでしょう。

そして、超自然的な力を持つにもかかわらず、社会から疎外された位置に立つ魔法使いというモティーフは、いまも文学作品における「魔法使い」のひとつの類型として、大きな存在感を持っています。彼らの持つ独特のコンプレックスを読み解くとき、「顛倒」というキーワードは、補助線として大いに役に立つのではないかと思います。