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『三番目の魔女』を読みました

レベッカ・ライザート著『三番目の魔女』を読みました。

マクベス』を補完するひとりの少女の物語 

三番目の魔女

三番目の魔女

 

 

『三番目の魔女』シェイクスピアの戯曲『マクベス』を下敷きにした小説で、主人公のギリーをはじめ、戯曲のなかでは端役だった人々の生き様があざやかに浮かび上がる長編です。

 

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

 

 

マクベス』は主人公マクベスが荒野で三人の魔女に「謎めいた予言」を受け、その予言が次々に真実になってゆくのを見て理性を失い、王位を狙い次々に殺戮を行う……という筋立てです。シェイクスピアの四大悲劇のなかではもっとも短く、スピーディーな展開を特徴としています。それゆえにそれぞれの登場人物の心情や境遇には余白が多く、読み手に多くをゆだねられている、といえます。

『三番目の魔女』は、その余白を逆手に取り、人物同士の関係を色鮮やかな筆致で塗りこめることで、ひとりの少女の成長物語としての『マクベス』を提示しています。「マクベスにすべてを奪われた」以外何の過去も持たないギリーがすべてを思い出し、戯曲の中では点と点にすぎなかった登場人物たちがどんどんつながっていく終盤は圧巻です。

 

あらすじ:
舞台は11世紀のスコットランド。森の中で、魔女と呼ばれるふたりの老婆と暮らす少女ギリーは、長年武将マクベスに復讐を誓っている。ついに森を飛び出した少女は、城に潜み、男装した召使として、きつい仕事をこなしながらマクベスに近づく――「マクベスの心臓のかけらを三つ手に入れれば、呪いのかけ方を教えてやる」という老婆マッド・ヘルガの言葉を信じて。しかし幼い心は恐怖に揺らぎ、決意は迷いへと簡単に変わってしまう。

数か月後、なんとか城から戻ったギリーを連れて、老婆たちは荒野へ赴く。三人で協力してマクベスに呪いをかけるのだ。しかし、この「呪い」が終わらない悲劇への始まりだということを、ギリーは知らなかった……。

魔女と悪女が「女性」に戻る物語

マクベス』の「三人の魔女」に本当に未来を見通す予言の力があったのか。シェイクスピアはなにも明らかにしておらず、そのため解釈はつねに割れています。魔女たちは「運命の三女神」だったという解釈から、「彼女たちはただの人間で、すべては偶然の連鎖だった」というものまで……。これはマクベスのストーリーの鍵となる部分であり、マクベス研究のなかでもっともスリリングなところでもあります。

『三番目の魔女』は、基本的に後者の説を採っています。彼女たちは、さまざまな理由で「女」として生きる道を閉ざされ、共同体の外で生きることを余儀なくされた末に「魔女」というレッテルを貼られた存在です。現実に「魔女」と呼ばれた人々の実情に、きわめて近い設定といえます。

ギリーは村の人から「魔女」と呼ばれながら、自分は魔法の力なんて持っていないことを知っています。マクベスを呪い殺したいから、恩人を救いたいから……ギリーは「本物の魔女」になりたいと、何度も、さまざまな理由で願いますが、それは決して叶いません。「魔女」とはあくまで、共同体から振られる「役割」であり「レッテル」以上のものではないのです。

 

「村の人は私たちを魔女だとみなしてるわ」と私は言う。
「魚を馬と呼ぶことはできるさ」とネトルが言う。「でも、鞍を置いて市場まで乗って行こうって言うんなら、お気の毒様」

――『三番目の魔女』本編より

 

さて、ギリーの性格についてもう少しふれておきましょう。

ギリーは読み書きができる聡明な少女ですが、非常に傲慢かつ荒っぽい性格で、自分の非を素直に認めることができません。ふたりの老婆は再三にわたり「復讐などやめろ、マクベスではなく、おまえやおまえの愛する者が犠牲になる」と告げますが、ギリーは「自分は死んでもかまわないし、愛する人などいない」と跳ねつけてしまいます。しかし、この意固地で自分本位な彼女の性格にこそ、物語の秘密が隠されているのです。

マクベス』に登場する「自分本位な女」といえば、マクベス夫人を抜きに語れません。夫であるマクベスを王位につけようと画策するマクベス夫人の悪女ぶりは、原作でも鮮やかに描かれます。

そして『三番目の魔女』のなかで、似た者同士のマクベス夫人とギリーは、いわば鏡写しの存在として交錯します。マクベス夫人は本当に「悪女」なのか。いや、ギリーが本物の「魔女」になれない一人の少女であるように、マクベス夫人もまた、痛みを抱えながら今を生きる、ひとりの女性ではないのか。

終盤マクベス夫人とギリーがついに出会ったとき、ともに炎のような性格を持つ「彼女たち」の苦しみが浮かび上がります。

作品の中でままならない運命に翻弄されているのは、マクベスだけではなかったのです。

自らの生につきまとう苦しみを受け入れながらも、最良の道を選び取り、自分の足で進もうとするギリーの最後の決意は、おそらくマクベス夫人との邂逅がなければ成り立たなかったでしょう。ギリーが「悪女」といわれたマクベス夫人に光を当て、マクベス夫人もギリーを明るく照らす。ギリーの在り方は400年前の原作の現代的な再解釈として、美しく仕上がっていると思います。